西鹿田村(読み)さいしかだむら

日本歴史地名大系 「西鹿田村」の解説

西鹿田村
さいしかだむら

[現在地名]笠懸村西鹿田

大間々おおまま扇状地の扇頂近くにあり、鹿田山しかだやま丘陵の西部が半ばを占め南に天神てんじん山がある。西境はや川が南流し、北は勢多せた新川につかわ(現新里村)、東は鹿田村、西は佐位さい香林こうばやし(現佐波郡赤堀町)、南は同郡間野谷あいのや(現同上)。中世は新田庄鹿田郷に含まれていた(→鹿田郷。寛文郷帳では田方二三七石・畑方二六三石、「はへ山有」と記される。元和二年(一六一六)以降旗本久永領で、村高五〇〇石は幕末まで変化がない。享保一〇年(一七二五)の新山畑帳(西鹿田区有文書)によれば新畑一八町一反余ですべて下々畑。安政七年(一八六〇)の田方定免帳(同文書)では上田一〇町三反余・中田五町四反余・下田四町五反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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