日本歴史地名大系 「鹿田郷」の解説 鹿田郷しかだごう 群馬県:新田郡笠懸村鹿田郷鹿田山の麓に立地していた新田庄内の郷。嘉応二年(一一七〇)の新田庄田畠在家目録写(正木文書)に「しかたの郷」田五町八反一〇代・畠四町・在家七宇、「きたしか田の郷」田二町九反三〇代・畠三町・在家一宇とみえ、当初より二郷からなっていた。北鹿田は現在の大字西鹿田の稲荷(さいしかだのいなり)山南麓湿地帯に比定され、鹿田郷は字小仁田(こにた)の谷戸田を中心に大字鹿(しか)一帯と考えられている。北鹿田郷には「さかいにとらる」との傍注が記され、この目録を注進した享徳四年(一四五五)の時点では、岩松氏の手を離れて不知行化していた。 鹿田郷かたごう 福島県:陸奥国白河郡鹿田郷「和名抄」所載の郷で、訓を欠く。「大日本地名辞書」は「今詳ならず、浅川及び赤坂の辺に郷名の擬比すべきものなければ、そこに非ずや、再考を要す」として、現在の石川郡浅川(あさかわ)町・東白川郡鮫川(さめがわ)村かとする。「日本地理志料」は現在の鮫川村・同郡古殿(ふるどの)町をあげる。 鹿田郷かつたごう 岡山県:美作国真島郡鹿田郷「和名抄」高山寺本に「渇多」の訓がある。現在促音で「カッタ」と発音するが「カタ」が正訓と思われる。旭川の支流備中川下流域を中心とする、現真庭(まにわ)郡落合(おちあい)町鹿田・下方(しもがた)一帯と考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報