見上村(読み)みあげむら

日本歴史地名大系 「見上村」の解説

見上村
みあげむら

[現在地名]市貝町見上

続谷つづきや村の北に位置し、あら川支流の塩田しおだ川が流れる。東西に竹之内たけのうち村の村域があり、南西塩田村。慶安郷帳に村名がみえ、田九八石余・畑九四石余で幕府領と旗本芦野の二給。元禄郷帳では高二二五石余で同二給。改革組合村では家数一八で、芦野と幕府奥医師佐合の二給。安政二年(一八五五)の書上帳(小川泉好文書)によれば、家数一八・人数五四、馬三で同二給。正徳五年(一七一五)徳川家康百回忌法会に際して、勤高二二五石で壬生みぶ通鹿沼宿の増助郷を命じられている(「鹿沼宿増助郷定」鹿沼市立図書館蔵)。明和九年(一七七二)馬頭煙草荷物継について当村と竹之内村との間に争論が起こり、竹之内村が継送する代わりに、当村へ煙草一俵につき五分ずつの口銭を支払う取決めがなされた(「定書」綱川文太文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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