覚皇院跡
かくこういんあと
[現在地名]高野町高野山
文明五年(一四七三)の諸院家帳に「浄法房兼海上人建立近衛院御願」とあるが、現存しない。「続風土記」は「霊瑞縁起に覚皇院本堂東方近衛院御願兼海上人建立(中略)此院も伝法院の
内にありしと見ゆ、霊瑞縁起に伝法院
内都十三宇とあり、今悉く廃墟となれり」と記す。高野山大伝法院本願霊瑞并寺家縁起にいう本堂東方は大伝法院本堂の東方の意であるらしく、「続風土記」によれば小田原谷の旧青巌寺の東を通って五之室谷・一心院谷に出る途中を覚皇ヶ彎(覚法彎)というとあるから、この辺りに覚皇院があったかと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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