観自在寺庄(読み)かんじざいじのしよう

日本歴史地名大系 「観自在寺庄」の解説

観自在寺庄
かんじざいじのしよう

鎌倉期から室町期にかけて、御荘みしよう町を中心とする地域にあった延暦寺領荘園御庄とも称された。延暦寺末寺の観自在寺(現在御荘町平城にある真言宗大覚寺派に属する四国霊場第四〇番札所)が開発した寺領がのち寄進、荘園化されたものと推測される。

寛喜元年(一二二九)八月一一日の「十楽院門跡領目録」(官宣旨写)が当荘の初見で、同目録に

<資料は省略されています>

とあり、当荘は平安期の長徳二年(九九六)四月に比叡山に建立された勝蓮華しようれんげ(開祖覚慶、延暦寺子院)領となり、のち延暦寺の十楽じゆうらく院第七世門主仁慶の隠棲所である北白河房(粟田口あわたぐち)領となる。なお右の史料に「土佐国観自在寺」とあるのは、誤記かまたは立荘以来鎌倉初期に至るまで土佐国に所属していたのかは不明。立荘時の荘域は寺辺地の零細な付属地にすぎなかったかと推測されるが、室町期に入る頃には、現在の御荘町城辺じようへん町の海岸部を除く地域および一本松いつぽんまつ町域を含む広大な地域に及んだにちがいない。地積は不詳。

平安期の寛治四年(一〇九〇)七月、当荘西方の海岸地域(御荘湾沿岸地域、江戸期の内海うちうみ浦、現内海村と現御荘町に編入された旧南内海村)に賀茂御祖かもみおや社領内海御厨が成立している(賀茂社古代庄園御厨)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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