デジタル大辞泉 「粟田口」の意味・読み・例文・類語
あわたぐち【粟田口】[姓氏]
山城
大和絵の一派の家名。
[補説]地名・狂言の曲名別項。→粟田口[地名] →粟田口[狂言]
「粟田口」姓の人物
京中より三条通を経由して東海道・東山道への出口。三条口・三条橋口・
「栄花物語」巻七に東三条院詮子の石山詣を記して「京出でさせ給て、粟田口・関山の程、鹿の声物心細う聞ゆ」とあり、「大鏡」巻四には「馬厩の馬に御随身のせて、粟田口へ遣しゝが」とみえる。また「台記」久安二年(一一四六)九月二七日条には「此日、詣石山寺、(中略)寅刻出京、於粟田口騎馬
都の住人にとって、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市東山(ひがしやま)区、三条白川橋から蹴上(けあげ)に至る間をいう。『和名抄(わみょうしょう)』の粟田郷にあたり、古来、京都七口のうちの重要な一つで、東海道から京都への入口をなす。軍事上の要衝でもあり、『保元(ほうげん)物語』『平家物語』にその名がみえる。また鎌倉時代には粟田口鍛冶(かじ)の地として知られた。元和(げんな)年間(1615~1624)瀬戸から陶業が伝えられて粟田口に築窯したのが、京焼最古の粟田焼のおこりである。また、天台宗延暦(えんりゃく)寺の三門跡(もんぜき)の一つである青蓮院(しょうれんいん)は粟田口御所ともよばれた。親鸞(しんらん)も初め青蓮院の門から出たため、本願寺との関係も深く、真宗門徒衆の聖地である。
[織田武雄]
狂言の曲名。大名狂言。「粟田口」とは、京都の粟田口に住んだ刀工たちがつくった刀をいう。粟田口比べがあるので、大名(シテ)はそれを求めさせに太郎冠者(たろうかじゃ)を都へやるが、主従とも粟田口が何であるか知らない。太郎冠者は粟田口生まれだというスッパ(詐欺師)を連れて帰る。大名が粟田口について書いた書物と照合すると、スッパは自分の条件と巧みにあわせ雇われる。早速、大名が連れて外出し、「粟田口」「藤右馬允(とうまのじょう)」と名をよび、機敏な返事を喜んでいるすきに、スッパは持たされた太刀(たち)、小刀を盗んで逃げてしまう。大名はやっとだまされていたことに気づく。物と人を取り違えるのが笑いを誘うが、大名の鷹揚(おうよう)さも見どころである。
[小林 責]
京都市東山区にある京都七口の一つ。京中から東海道・東山道への出口で,三条白川橋から九条山のふもとまでを指し,別名三条口,大津口ともいう。《和名類聚抄》に,〈山城国愛宕郡上粟田郷・下粟田郷〉とあり,粟田郷を抜けるので粟田口と称した。古代より軍事・交通の要地で,その名は《栄華物語》巻七の東三条院詮子石山寺詣の項を初見として,《台記》《古今著聞集》などに散見する。1156年(保元1)崇徳上皇が軍勢を召集したとき,検非違使がその入洛を粟田口に押さえ(《保元物語》),1536年(天文5)の天文法華の乱にも,山徒と法華宗徒との激戦地となっている。1333年(元弘3)禁裏内蔵寮の率分関が粟田口ほか3口に設置され,室町時代を通じて往来の人馬より関銭を徴収したが,豊臣秀吉によって廃止された。このほか鎌倉時代以来刀工が存在して粟田口を家号とし,その作を総称して粟田口物という。近世初期以降の粟田焼,粟田口刑場も有名である。
→京都七口関
執筆者:野田 只夫
狂言の曲名。大名狂言。大名のあいだに道具くらべが流行し,次回は粟田口くらべがあるというので,大名は太郎冠者に命じ,都へ求めにやる。粟田口とは京都粟田口産の刀の銘なのだが,太郎冠者はそれを知らず,粟田口買おうと呼び歩く。その姿を都のすっぱが見て,自分こそ粟田口だと名のり出る。太郎冠者はだまされて,すっぱを買い取り,同道する。大名は,粟田口が人間と知らされて意外に思うが,粟田口の説明書とすっぱの自己紹介とがことごとく符合するので,雇い入れる。外出に,太刀を持たせて供をさせ,道中,名を呼ぶと機敏に答えるのをおもしろがりながら行くうち,すっぱはすきを見て大名の太刀・刀を持逃げしてしまう。大名・太郎冠者・すっぱの3人が登場し,大名がシテ。大名も粟田口を刀と知らぬことから,前半は言語遊戯を駆使した取違えのおかしみ,後半は敏速で軽快な応答と動きが中心。最後のシテの詠嘆の謡もこっけい味がある。大名狂言の一つの典型。
執筆者:羽田 昶
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…人家から隔たり草木生い茂る刑場には,取り捨てられた死骸に野犬が群がって,その光景は荒涼凄愴をきわめたという。 京都においては粟田口(あわたぐち)と西土手(にしのどて)に〈東西御仕置之場所〉が置かれ,大坂は千日,野江,鳶田(とびた)などの刑場を有した。このほか幕府直轄地では,長崎の西坂,横浜の暗闇坂(くらやみざか)の刑場が外国人にも知られていた。…
※「粟田口」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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