角田柳作(読み)ツノダ リュウサク

20世紀日本人名事典 「角田柳作」の解説

角田 柳作
ツノダ リュウサク

明治〜昭和期の日本文化研究家 コロンビア大学日本文化研究所所長。



生年
明治11(1878)年9月8日

没年
昭和39(1964)年11月29日

出生地
群馬県南勢多郡敷島村(現・赤城村)

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)卒

経歴
仏教研究に専念し、明治42年仏教伝道のためハワイに渡り、大正7年アメリカに渡る。昭和3年コロンビア大学に日本文化研究所を創設してその中心人物となり、ハーバート・ノーマン、ドナルド・キーンなどの人材輩出生涯異国においた。著書に「井原西鶴」、「Sources of the Japanese Tradition」(共著)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「角田柳作」の解説

角田柳作 つのだ-りゅうさく

1878-1964 明治-昭和時代の日本文化研究家。
明治11年9月8日生まれ。42年仏教布教のためハワイにわたる。大正7年アメリカ本土にうつり,日本文化の研究と教育のため昭和3年コロンビア大に日本文化研究所を設立。同研究所からドナルド=キーンらがでた。昭和39年11月29日ハワイで死去。86歳。群馬県出身。東京専門学校(現早大)卒。著作に「井原西鶴」など。

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世界大百科事典(旧版)内の角田柳作の言及

【日本研究】より

…また建築,芸術の分野における草分け的研究としては,日本の民家を詳しく紹介したE.S.モースの《日本のすまいとその周囲》(1886)や,E.F.フェノロサの遺作《東亜美術史綱》(1912)と,詩人E.パウンドが発表したフェノロサの漢詩と能楽の研究も重要である。 ボストン美術館東洋部部長を務めた岡倉天心,イェール大学の朝河貫一(1873‐1948),コロンビア大学の角田(つのだ)柳作(1877‐1964)など,アメリカにおける日本研究に尽力した日本人の役割も見逃してはならない。朝河はイェール大学で博士号を取得し,1906年から同大学で日本語,日本史を担当するかたわら,日本関係図書も収集し,のちのイェール大学の日本研究発展の基礎を築いた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」