朝日日本歴史人物事典 「許率母」の解説
許率母
百済 から亡命してきた渡来人。天智10(671)年1月,他の亡命百済人と共に小山上の位を授けられたが,『日本書紀』には彼の特技として,儒教の経典である五経に詳しいと記されている。『懐風藻』にも大友皇子の「賓客」として名がみえ,皇太子の学問上の顧問であったと考えられる。天武6(676)年5月には後の大宝・養老令制の大学博士に相当する大博士であったが,このとき大山下に昇進するとともに食封30戸を与えられている。
(清田善樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報