大友能直(読み)おおともよしなお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大友能直」の意味・わかりやすい解説

大友能直
おおともよしなお
(1172―1223)

豊後(ぶんご)大友氏の祖。鎌倉前期の有力御家人。幼名は一法師丸。豊前守(ぶぜんのかみ)。従(じゅ)五位下。出自については「大友家文書録」などで源頼朝(よりとも)の庶子とするが、相模(さがみ)古庄郷司(ふるしょうごうじ)近藤能成(よししげ)の子とするのが妥当である。母は波多野四郎経家(はたのしろうつねいえ)の娘で、姉が中原親能(ちかよし)に嫁した関係で、甥(おい)の能直は親能の養子となり、母方の所領である大友郷の郷司職(しき)を相続した。源頼朝の近習として仕え、養父中原親能が有していた鎮西奉行(ちんぜいぶぎょう)の権限の一部を継承し、豊後(ぶんご)国(大分県)大野荘(おおののしょう)の地頭職などを得て、子孫は代々豊後国守護職となった。貞応(じょうおう)2年11月27日京都にて死去

[海老澤衷]

『渡辺澄夫著『増訂豊後大友氏の研究』(1982・第一法規出版)』

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朝日日本歴史人物事典 「大友能直」の解説

大友能直

没年:貞応2.11.27(1223.12.20)
生年承安2.1.3(1172.1.29)
鎌倉初期の武士。豊後大友氏の祖。幼名一法師丸。左近将監,左衛門尉,豊前守,従五位上。法名能蓮。源頼朝の落胤説もあるが,父は相模国の住人古庄(近藤)能成。母の関係から中原親能の養子となる。若いときから頼朝の「無双の寵仁」として近侍し,元服ののち左近将監に内挙される。大友系図などでは,建久年間に鎮西奉行,豊前・豊後の守護職に任じられたとするが,これは誤りといわれ,豊後を中心とする所領のほとんどは,鎮西奉行であった養父中原親能から譲られたものと推測される。貞応2(1223)年に所領所職を子や妻(尼深妙)に譲り,京都で死去。

(飯沼賢司)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大友能直」の解説

大友能直 おおとも-よしなお

1172-1223 鎌倉時代の武将
承安(じょうあん)2年1月3日生まれ。九州大友氏の祖。系譜については異説がおおい。文治(ぶんじ)5年源頼朝の奥州攻めに功をたて,有力御家人となる。のち豊前(ぶぜん)・豊後(ぶんご)の守護と鎮西奉行をかね,筑後(ちくご)守護もつとめた。貞応(じょうおう)2年11月27日死去。52歳。幼名は一法師丸。

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367日誕生日大事典 「大友能直」の解説

大友能直 (おおともよしなお)

生年月日:1172年1月3日
鎌倉時代前期の武士
1223年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大友能直の言及

【大友氏】より

…中世九州の名族の一つ。京都の中級貴族出身で源頼朝につかえ,九州支配にも関与した中原親能の猶子能直にはじまる。能直は頼朝の側近の武士の一人で相模国大友郷を本拠とし,大友の苗字はそこからはじまる。能直のときから豊後守護に任じた可能性が強く,以後中世を通じてこの地位を世襲した。九州へ下向したのは3代頼泰(泰直)のときで,頼泰は鎮西談議所の奉行にも任じ,蒙古を博多に迎撃したときの指揮者の一人でもあった。なお頼泰のとき,鎮西奉行として武藤氏とともに九州を統轄したという説があるが,今のところ確定的ではない。…

【神蔵荘】より

…在地領主に宗形氏綱とその沽券(こけん)を受けた橘宗頼の名が見えるが,1199年(正治1)当時には関東補任の中原親能が下司,宗頼は下司代となっていた。1209年(承元3)親能の猶子大友能直が地頭下司職に補され,その子詫磨能秀が相続,以来詫磨氏が分割知行した。1337年(延元2∥建武4)最勝光院執務職とともに神蔵荘領家職は東寺に付けられたが,鎌倉末には年貢上納は半減しており,南北朝期には荘園としての実体は失われた。…

【筑後国】より

…【倉住 靖彦】
【中世】

[鎌倉時代]
 鎌倉幕府の成立とともに東国御家人が守護として入部し,筑後支配にのり出す。初代の大友能直の在職は1207年(承元1)から13年(建保1)まで確認できる。その後北条氏一門の名越時章が在職したが,72年(文永9)の二月騒動で誅され,守護職は大友頼泰に移った。…

【豊後国】より

…翌年国司に御家人の毛呂太郎藤原季光を推挙し,初代守護に腹心の中原親能(ちかよし)を補任した。親能の猶子大友能直(よしなお)が初代守護に補任されたとする説があるが,親能から譲られたらしい。 源平合戦前後までさかのぼって豊後の情勢をみると,平重盛の御家人だった緒方惟栄をはじめ,その兄弟の臼杵(うすき)氏・佐賀氏,同族の大神姓大野氏,稙田氏,都甲(とごう)氏,大蔵姓一族,清原氏一族など有力武士団が各地に勢力をもっていた。…

※「大友能直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」