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深妙 シンミョウ

デジタル大辞泉の解説

しん‐みょう〔‐メウ〕【深妙】

[名・形動]《古くは「じんみょう」》奥深くてすぐれていること。また、そのさま。
「所謂寸鉄人を殺す―の旨趣を見る事あり」〈逍遥小説神髄

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

深妙 しんみょう

?-? 鎌倉時代,大友能直(よしなお)の妻。
承応(じょうおう)2年(1223)夫の死去の直前に相模(さがみ)(神奈川県)大友郷地頭郷司職と豊後(ぶんご)(大分県)大野荘地頭職をゆずられ,所領の維持にあたる。のち大友親秀(ちかひで)以下の子女に配分し,文永2年(1265)ごろ90歳余まで所領の経営を後見した。通称は風早禅尼(かざはやぜんに)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

深妙

生年:生没年不詳
鎌倉前期の女性。相模国(神奈川県),豊後国(大分県)の地頭領主である大友能直の妻。風早禅尼とも。貞応2(1223)年,夫の養父中原親能の譲状なども添えて,夫から相模国大友郷(小田原市)地頭郷司職,豊後国大野荘(直入郡)地頭職を譲られた。能直には男子11人,女子3人の子があり,嫡子も成人していたと思われるが,後事はすべて妻に託したのである。仁治1(1240)年,嫡男親秀以下4男2女に所領を配分,子息時直の後家にまで所領を配分していることが注目される。女性が所領経営を行い,配分権,被配分権を持っていたことの明証である。正元1(1259)年,弘長2(1262),3年,文永2(1265)年の所領配分状も残しており,惣領が孫の代に移行したのちも,所領・所職の最終的な支配権を握っていたことを示している。泊寺には深妙の逆修墓がある。<参考文献>『志賀文書』

(田端泰子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

しんみょう【深妙】

( 名 ・形動 ) [文] ナリ 
〔古くは「じんみょう」〕
奥深くすぐれている・こと(さま)。 「寸鉄人を殺す-の旨趣を見ることあり/小説神髄 逍遥

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