日本歴史地名大系 「護持院原」の解説 護持院原ごじいんはら 東京都:千代田区旧神田区地区神田錦町三丁目護持院原江戸城北東の雉子(きじ)橋から神田橋(かんだばし)御門にかけての堀外一帯にあった火除地。享保二年(一七一七)当地にあった護持院が類焼し、護国寺(現文京区)に移転した。火除地となった護持院跡地は護持院原と称され、その後原の中に三条の往来が開かれたことにより、東側より二―四番原と呼称された。また護持院原は将軍家の御鷹場とされたが、同九年以降二月から八月中旬までの間は一般の立入りが許された。文久三年(一八六三)には開成(かいせい)所が移転してきた(「御府内備考」「千代田区史」「文京区史」など)。〔蕃書調所〕幕府により設立された洋学の研究および外交文書翻訳機関。幕府は文化八年(一八一一)より天文方付属の蛮書和解御用に所属する蘭学者に命じて洋書の翻訳・出版・検閲・研究・調査を行わせていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by