護摩堂城跡(読み)ごまどうじようあと

日本歴史地名大系 「護摩堂城跡」の解説

護摩堂城跡
ごまどうじようあと

[現在地名]田上町田上 護摩堂山

中世から近世初期に築かれていた山城。町域の北東部、護摩堂山(二六八・三メートル)山頂にある。元禄三年(一六九〇)の護摩堂山由緒(東大史料編纂所蔵)によれば、昔、一帯は三井山とよばれていたが、東龍とうりゆう寺を奥院とする七二坊の寺々が山頂に護摩壇を築き、真言密教の修法を行ったことから護摩堂山と名付けられたとある。「越後名寄」は「孤峰削レルガ如、頂ニ井水有、要害堅固也、(中略)往昔、前ノ予州源頼義卿ノ後胤平賀盛義居城ス、後世、坂戸ノ領主長尾政景ノ長臣宮島三河守居レルカ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android