護聖寺(読み)ごしようじ

日本歴史地名大系 「護聖寺」の解説

護聖寺
ごしようじ

[現在地名]安岐町朝来

興国山と号し曹洞宗本尊聖観音。室町時代以前は天台宗であった。もと久末山護国寺と称し、養老二年(七一八)仁聞が開いたと伝える。織豊期以降の成立と思われる六郷二十八山本寺目録(太宰管内志)では、中山分本寺一〇ヵ寺の一つにあげられるが、安貞二年(一二二八)五月日の六郷山諸勤行并諸堂役祭等目録写(長安寺文書)には欠落している。応永一一年(一四〇四)国東泉福せんぷく(現国東町)明厳が当寺に来住して再興し、興国山護聖寺と改めた。境内左に板碑が二基建つ。向かって右の板碑は総高二メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む