日本歴史地名大系 「谷向村」の解説 谷向村たにむかいむら 千葉県:君津市旧望陀郡地区谷向村[現在地名]君津市大戸見(おおとみ)八郎兵衛(はちろべえ)村の北、小櫃(おびつ)川右岸にある。南東の安房清澄(きよすみ)山からの道と、南の同北小町(きたこまち)村(現鴨川市)からの道が合流し、柳瀬(やなぜ)・外(と)ヶ野(の)、小櫃川を渡って小滝(こたき)・向郷(むかいごう)の各村へと続く。安房と上総を結ぶ交通の要衝で、幕末には武蔵国川越藩の安房と上総の領地を管轄するため字三本松(さんぼんまつ)に陣屋が置かれた。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に「谷田村」二六六石とみえるものにあたるか。 谷向村やむかいむら 千葉県:安房郡三芳村谷向村[現在地名]三芳村谷向本織(もとおり)村・明石(あかし)村の北に位置し、西の下堀(しもほり)村境を平久里(へぐり)川が流れる。原(はら)・谷津(やつ)・谷向・根方(ねかた)などの地名がある。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録の北(きた)之郡内に知行方分(同一五年の里見家分限帳では正木大膳知行)として村名がみえ、高三六六石余(うち田三〇二石余)。正保郷帳では平(へい)郡内で高三七二石余、旗本三枝領。享保一二年(一七二七)の安房国村々助郷請帳(岩崎家文書)では幕府領四九石余のほか旗本川口領三二八石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by