谷地館村(読み)やちだてむら

日本歴史地名大系 「谷地館村」の解説

谷地館村
やちだてむら

[現在地名]羽黒町小増川こますかわ

川行かわつら村の北西にあり、北はなか村。谷地立とも記した。川代山古今記録(鶴岡市郷土資料館蔵)によると、上杉景勝の部将直江兼続が、庄内支配の一環として当地の館(谷地館)に宮城将監を配したといわれる。元和八年(一六二二)庄内藩領となり、以後領主の変遷は大口おおぐち村に同じ。同年の酒井氏知行目録に村名がみえ、高一五六石余。寛永元年庄内高辻帳では高一五七石余、正保郷帳では中村に含まれて高付された。安永三年(一七七四)の公領田圃録(八幡文書)では田高一四九石余・畑高八石余、家数一七・人数六七、馬八。年代山公事諸用留(桜林坊文書)によると享保一三年(一七二八)の免は三ツ八分。用水ささ川の支流まえ(西川)を利用し、西川にしかわ二三ヵ村に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android