谷山町(読み)たにやままち

日本歴史地名大系 「谷山町」の解説

谷山町
たにやままち

[現在地名]出石下谷しもたに

材木ざいもく町・伊木いぎ町の東に位置する武家町で、表谷山おもてたにやま町ともいった。しろ山と入佐いるさ山に挟まれた地で、北は裏谷山うらたにやま町、東はしん町に続き、谷山川が西流する。文化七年(一八一〇)の城下絵図などによると、谷山川の右岸に沿う東西路(欄干橋から楊枝谷川橋まで長さ二町五八間)の北側と、左岸に沿う東西路(伊木町境から吉祥寺前まで長さ二町五六間半)の南側に屋敷が並んでいた。なお右岸の道(出石・福知山道)出石藩の参勤交代路で、京街道ともいった。文化年間の出石藩侍帳によると四〇〇石取の者一、二〇〇石取から三〇〇石取の者三、一〇〇石取から一五〇石取の者八(うち医師一)、一〇人扶持の者一が居を構えていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む