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進化論 しんかろん evolution theory

6件 の用語解説(進化論の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

進化論
しんかろん
evolution theory

生物進化の事実,機構,原因などに関する理論,またはそれらを研究する学問分野。生物の進化の素朴な考えは紀元前からあったが,近代的な進化論の芽生えは『動物哲学』 (1809) を著わしたフランスの J.ラマルクに代表され,C.ダーウィンの『種の起原』 (59) によって不動の学説として確立され,進化論といえばダーウィン説をさすほどである。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

しんか‐ろん〔シンクワ‐〕【進化論】

生物のそれぞれの種は、単純な原始生物から進化してきたものであるとする考え。ラマルク用不用説ダーウィン自然選択説、ド=フリース突然変異説などがある。現在では主として進化の要因論をいう。

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百科事典マイペディアの解説

進化論【しんかろん】

生物の進化が事実として承認されるまでは,生物進化の説を進化論と呼んでいたが,現在では主として進化の要因論をいう。体系的な進化要因論を最初に提唱したのはラマルクで,彼は動物の器官および機能は用・不用によって発達の程度が決まり,この後天的な変異が遺伝し,累積して進化の原因となるという用不用説を唱えた。
→関連項目アガシー丘浅次郎ゲーゲンバウア社会ダーウィニズムスコープス裁判生物学天変地異説マイヤー未開社会

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世界大百科事典 第2版の解説

しんかろん【進化論 evolution theory】

生物進化論の歴史はC.ダーウィン以前,ダーウィン,ダーウィン以後に大きく3区分することができる。しかしダーウィン以前のうち,古代ギリシア自然哲学における進化思想は時代的にもかけ離れており,近代の進化論とは区別して扱われねばならない。
【ギリシア自然哲学】
 ミレトス学派アナクシマンドロスは,大地の泥の中に原始生物が生じてしだいに発達し,さまざまの動植物ができ,最後に人間があらわれたと説いた。エンペドクレスは,動物の体のいろいろな部分が地中から生じて地上をさまよいながら結合し,適当な結合となったものが生存して子孫を残したとのべた。

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大辞林 第三版の解説

しんかろん【進化論】

生物は造物主によって現在の形のまま創造されたとする種の不変説に対して、原初の単純な形態から次第に現在の形に変化したとする自然観。一九世紀後半ダーウィンらによって体系づけられ諸科学に甚大な影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

進化論
しんかろん
evolutionary theory

生物はその形態のみならず、生理、行動、生態にわたり著しく多様であり、しかもそれぞれの生物はその生活環境にうまく適応して生きているかにみえる。この多様性と適応性を、地球上で生物が誕生して以来、長い時間経過のなかで動的に変化・展開してきた過程として説明する試みを、広い意味で進化論あるいは進化理論という。
 ヒトを含めた生物の由来への関心は、いわゆる創世神話をはじめ多くの例にみることができる。われわれが何であり、どこからきたのか。この問いかけの動機とその答えへの納得が一般にはいまも進化論を背後から貫いている。しかし、そうした由来についての「神話的説明」や神学的、宗教的説明を排除し、近代になって進化論が科学理論としてそれなりに確立してきているが、不明な点、つまり明示的に説明されるべき論点がいっそう増えてきたことも確かであり、それらの問いへの答えは未来に向けて開かれている。[遠藤 彰]

古代ギリシアの自然思想

生物の由来についての古代ギリシアの説明をまずは概説する。アナクシマンドロスAnaximandros(前610―前546)は、変態を仮想し、魚のような生物が脱皮して人が生まれたと考えた。アナクシメネスAnaximenes(前585?―前528?)は、生物は湿った大地から自然発生したと想像した。エンペドクレスEmpedocles(前493―前433)になると、身体のそれぞれの部分がまず発生し、それらがうまく結合して完全な生物が誕生した、という奇怪な説を唱えた。初期のギリシアの自然哲学者たちの世界・生物の起源についての思想は、端的にいうと、創生の作用は神なしに行われたこと、つまりなんのデザインもなしの自然発生を想定したという特徴をもつ。ところが、ソクラテスSocrates(前469―前399)以降になると、たとえば、プラトンPlaton(前427?―前374)のように著しく形而上(けいじじょう)学的思考に傾斜し、そこではむしろ進化的思想と正反対の観念が支配的になる。すなわち、調和的全体――霊魂に満たされた宇宙が想定され、生物(もしくは万物)の創造力として素朴な自然発生にかえてデーミウルゴスという力能が仮定されるからである。プラトンは進化論のアンチヒーローとさえ評されることになる。しかし、その弟子であったアリストテレスAristoteles(前384―前322)は、動物についての豊富な具体的資料に基づき、高度の分類体系を築き、動物の多様性の認識においても、その機能の認識においても、卓越した水準を達成した。それは遠く18世紀のリンネの時代に届くほどの内容を備えていた。のちに「自然の階梯(かいてい)」の観念をあてがわれはしたが、アリストテレス自身は適応的現象を目的論的に説明するに終始し、進化的観念を懐胎していないとされる。結局、ギリシア時代の時間観念は円環的――絶えず始源に回帰する周期的変化――でしかなく、生物の多様性や適応性を歴史的時間の脈絡に置くこと自体が、当時の説明論理の枠外にあったといわねばならない。ただ、目的論的説明は、適応概念の同義反復性とある意味で通底する側面を示している点は注目してもよいと思われる。[遠藤 彰]

キリスト教的世界観の影響

さて、この円環的時間観念の変革に最初に大きな影響を与えたのはキリスト教的世界観であった。聖書は世界の始源と終末を語り、直線的時間観念を定着させた。しかし、生物の由来については、6日間の創造の神話と「箱舟神話」を流布し、結果的には、いわゆる進化的説明が登場するまでの長い前史を「支え」続けた。それ以外の説明を排除してきたという意味で一種のパラダイムであったろう。キリスト教世界観における生成――安定――破局の図式は、生物の途中の変化を基本的には認めない。アウグスティヌスAugustinus(353―430)は、創造者の仕事を1本の樹木の成長に結び付けたし、トマス・アクィナスTomas Aquinas(1225―74)も、同様に創造を神によって事物に与えられた力により前進的に展開された過程とみなした。ある意味では「プログラムされた進化」という発想が、アリストテレスの目的論からキリスト教的世界観へ至って芽生えてきたともいえよう。とりわけ、トマス・アクィナス的生物観の枠組みは、13世紀以降アラビア経由でヨーロッパに紹介されたアリストテレスの動物学が、アルベルトス・マグヌスAlbertus Magnus(1206―80)などに積極的に摂取され補強された経緯と関連しているとみられる。[遠藤 彰]

近代進化思想の台頭

16~17世紀になると、多くの博物誌が刊行され始める。博物誌そのものの系譜は、アリストテレス以降は、ローマの大プリニウスG. S. Plinius(23―79)の『博物誌』や、寓意(ぐうい)に満ちた『フィシオロゴス』が中世を通じてかなり広く読まれたとみられており、見逃せないが、この時代以降には「怪物」を含む博物誌が延々と流行した。未知の生物の発見は人々の活動範囲の拡大とともに当然もたらされるものであるが、実体を失ったことば(ラテン語や古代ギリシア語)の意味を再生する途上の「イメージの怪物」もおそらく不可避の「錯誤」であったろうし、怪物や奇形の「発見」は、キリスト教的世界秩序=調和の亀裂(きれつ)の表明でもあったとみえるが、生物の多様性が具体的にとらえ直される注目すべき(もっと強調されてよい)底流であったと思われる。17世紀には、ベーコンF. Bacon(1561―1626)は、学問的枠組みの大革新を企図し、反アリストテレス主義を標榜(ひょうぼう)し、実験的博物誌(奇形の博物誌も含めて)の必要性を説いた。ベーコンの影響が実質的にどれほどであったかはともかく、16世紀以降は博物誌の著作『解剖図譜』『植物誌』『動物誌』が次々と出版され、生物の多様性は以前にもまして具体的に図像化されてとらえられるようになった。哲学的には、ライプニッツG. W. Leipniz(1646―1716)の連続性と充満(プレニテュード)の予定調和説が、「自然は飛躍しない」という、のちにC・ダーウィンの好んで用いたフレーズに象徴される形で与えた影響も無視できない。
 博物誌(学)の大潮流は、経験的な「種」を、リンネC. von Linneaus(1707―78)の分類体系に結実させることとなった。とりわけ、レイJ. Ray(1628―1705)は、種の適応的性質を神のデザインの証拠とみなしたし、それはリンネに大きな影響を与えたとされている。しかも、その発想はのちにペイリーW. Paley(1743―1805)などによってさらに神学的目的論の線で明確に述べられた。動物や植物は、人間のつくった機械よりすばらしい機械であり、これは人間の知性を超えた神の知性の産物である、というわけである。
 リンネの分類体系においても、種の不変性は基本に置かれていた。生物の多様性をより具体的に把握してきたこの時代は、その多様性のもつ秩序とその適応性(完全性)をともに神の創造の手の内に再構成しようとしていた。あるいはそれとすれすれのところでライプニッツ流の予定調和の世界観に裏打ちされていた(たとえば理神論の線で)。連続性の概念は、e. volveつまり展開=進化ということばでボネーC. Bonnett(1720―93)によって「存在の大連鎖」の自然観として表明された。しかし、18世紀は「変化の時代」であった。生物も変化するという観念は、種の不変性を信じていたリンネですら、晩年にはその信念を揺るがせることになったほどに、徐々に普遍的になり、分類の整序による自然の体系によって「怪物」問題を乗り越えたかにみえたキリスト教的調和世界に、避けられない大亀裂が走り始めたといえよう。ド・メイエB. de Meillet(1656―1738)は『ティリアメッド』を書き、地球表面は最初海で覆われ、水生の植物・動物がいて、やがて陸が現れると、それらは上陸し変態した――すべての陸上生物はそれぞれ水生起源の祖先が変態してきた、という考えを表明した。さらにモーペルテュイP. L. M. Maupertuis(1698―1759)は『生身のヴィーナス』『自然の体系』を書いて、原初の完全性を説明するために、識別力や記憶力をもつ遺伝粒子を想定し、種の安定性を強調した。これにはライプニッツの『単子論(モナド論)』の影響がみられる。しかも、その遺伝粒子への偶然的影響が新種を生み出すこと、十分とはいえないが選択(淘汰(とうた))の役割も見抜いていたといわれる。また、ビュフォンG. L. L. Buffon(1707―88)は壮大な『自然誌』を構想、執筆し、地球の歴史とともに生物の変化=進化を視野に入れたフランス百科全書派の、無機界から有機界への因果的合法則性を提示してみせた。[遠藤 彰]

ラマルクからダーウィンの進化論へ

E・ダーウィンE. Darwin(1731―1802)――C・ダーウィンの祖父――は『自然の殿堂』(1806)や『ズーノミア』(1794~96)のなかで、体系的ではないが、生物が自ら新しい特徴を得ることによって海で生まれ、陸上へ進化したとの考えを唱えた。しかし、進化の考えを一挙に展開したのはラマルクJ. B. Lamarck(1744―1829)であった。ラマルクは鉱物、植物から動物に至るまでの分類体系を構築しながら、その全体的傾向を進化ととらえた。『動物の哲学』(1809)で示された原理は、
(1)すべての生物はより複雑かつ完全な形態へ向かって進行する内的力能をもつと仮定され、その「生命力」は生物の統合性を生み、その秩序維持とさらに進んだ秩序を確立する流動体(熱量と電気性)によって実現される。
(2)すべての生物は環境の変化から生じる生存のための行動を担う内的な必要性をもち、それを支えるのが流動体である。
(3)また、新たに使用することによって獲得される形質を世代から世代へと伝播(でんぱ)し、これが複雑化を実現した(獲得形質の遺伝)。
 このような原理で、キリンの首がなぜ長いのかを説明したエピソードはよく知られている。ここではカタツムリの角(つの)(触角)の進化を説明してみる。「カタツムリははいながらその前方の物体に触れる必要を感じた。そしてその頭の先端でそれに触れようと努力する。そうするうちにカタツムリは流動体をそこへ送り、頭の先端を伸長させた。そしてついにはそこへ神経が伸び触角は永久に完成した。さらに触角を獲得したカタツムリは親から子へとそれを伝達つまり遺伝した」。このラマルクの進化論は、単純から複雑への完全化の検討であり、現存する単純な生物ほどその由来が新しいとみる、連続自然発生説でもあった。ほぼ同時代、ゲーテJ. W. Goethe(1749―1832)は生物の形態に関心を寄せ、変態(メタモルフォーゼ)を原型からの変化の原理として把握していた。
 脊椎(せきつい)動物の古生物学の創始者でもあるキュビエG. L. Cuvier(1769―1832)は、実証主義的立場から、ラマルクの進化論への反対を表明した。彼は多数の生物の化石を研究し、その形態上の相関関係を検討したが、化石を含む地層の分析を通して、各段階で新たな動物相や植物相の創造を伴った地殻の激変と遷移の考え方が正当化されるとみた(天変地異説)。また、ジョフロア・サンチレールE. G. Saint-Hilaire(1772―1844)は、新しい種の上位の分類カテゴリーが、繁栄することのできる怪物の偶然的出現によって出発するとの仮説から、形態の不連続性と由来の連続性の概念を結合しようと試みた。これは当時としてはすばらしい卓見というべきであろう。
 生物の多様性と適応性を、あらかじめ決められた設計図を想定したり、設計者の背後から光を当てて説明することなしに、どのように説明できるであろうか。この方向で、目的論を排して説明してみせたのがC・ダーウィンC. R. Darwin(1809―82)やウォーレスA. R. Wallace(1823―1913)であった。とくにダーウィンは『種の起原』(1859)において、進化の機構を基本的に以下の論理で説明した。
 (1)種内の個体はその形態と生理に著しい連続的変異があり、(2)この変異は機会的に生じ、遺伝する。(3)動物や植物の個体群は非常に高い増殖能力をもつ。(4)しかし資源は限られており、ある個体群の個体は自らの生存とその子孫の生存を目ざして闘争しなければならない。(5)したがって、いくつかの個体(最適者)だけが生き残り、同じ性質をもった子孫を残す。(6)この最適者の自然選択(淘汰)を通して、種はよりよく適応した個体によって構成されるようになる。
 この説明の前提は、遺伝する変異性と限られた資源だけであり、その帰結=自然選択はいわば自動的に導かれる。機会的変異を選択するだけで、現存している複雑に統合されている多種多様な生物をどこまで説明できるのか。この疑問には、当時も、そしてある意味では現在でも、究極的には明解に答えられてはいない。しかし、事実として、生物の多様性と適応性があらかじめ設計されたものではなく、原理的には変異と選択の歴史的産物であるという理解の枠組みは確立された。もちろん、ダーウィンは、遺伝機構については獲得形質の遺伝を認める当時の遺伝学の「常識」を超えてはいなかったし(ジェミュールという遺伝を担う粒子が体細胞から生殖細胞へ移動して獲得形質が遺伝すると考えていた)、選択の単位については個体を想定していたものの、かならずしもそれで尽きるものではなかったし、種形成(分化)の機構の理解も十分ではなかった。それに地質年代や化石記録にも信頼を置ける状況ではなかった。そうした誤りや限界がありながらも、自然選択の原理は、マルサスT. R. Malthus(1766―1834)やスペンサーH. Spencer(1820―1903)の影響を受けたにせよ、ダーウィンによって生物の世界について展開された。生物進化を説明する基本的枠組みは現在もこのダーウィンの自然選択の考え方を基礎としている。[遠藤 彰]

遺伝学の新たな展開

その後、19世紀後半には、さまざまな進化理論が提唱された。種分化における地理的隔離の重要性はワグナーM. F. Wagner(1813―87)とグリックJ. T. Gulick(1832―1923)により異なった視点から強調された。ワグナーは異なった環境の作用を、グリックは環境の差異がなくても生じる分岐のあることを指摘した。また、ネーゲリC. W. Nageli(1817―91)は内的指向力が環境とはまったく独立に進化の方向を導くことを、アイマーT. Eimer(1843―98)は進化がかならずしも適応的ではないが定向性をもって進むことを強調した。コープE. D. Cope(1840―97)は古生物学的考察に依拠したラマルク的見解を復活させた(ネオラマルク主義)。
 遺伝学については、その後、ワイスマンA. Waismann(1834―1914)が生殖系列説(世代を越えて伝わるのは生殖質であり、体細胞質は行き止まりであるという考え)から獲得形質の遺伝が不可能なことを導いた。これは現在、分子遺伝学によって基本的に支持されている。遺伝的形質の伝わり方については、メンデルG.Mendel(1822―84)の得た統計的経験的結果が1900年にド・フリースH. de Vries(1848―1935)らによって再発見され、また突然変異が発見されるに至り、さらに、モーガンT. H. Morgan(1866―1945)一派のショウジョウバエ遺伝学の発展を経て、遺伝子は染色体上に座位をもつものとして理解されるようになった。[遠藤 彰]

進化の総合説

また、突然変異による種分化の可能性は、遺伝子プールとしての個体群(集団)における多くの遺伝子座にある対立遺伝子の頻度の変化(小進化)の理論的研究によって検討された。すなわち、フィッシャーR. A. Fisher(1890―1962)、ライトS. Wright(1889―1988)、ホールデンJ. B. S. Haldane(1892―1964)らが集団遺伝学を確立し、進化を集団=個体群の現象として理解することの重要性が認識されるようになった。これらの研究が次にみる進化の「総合説」を準備することになる。
 1930~50年代にかけては、進化の総合説への統一化が試みられた。ハクスリーJ. S. Huxley(1887―1975)をはじめ、古生物学のシンプソンG. G. Simpson(1902―84)、系統進化学のマイアE. W. Mayr(1904―2005)、遺伝学のドブジャンスキーT. Dobzhansky(1900―75)らは、それぞれの著作のなかで進化理論の総合化を表明した。総合説は、遺伝の染色体理論、集団遺伝学、生物学的種の概念を軸とし、古生物学や生物学諸分野の概念を整理拡張し、獲得形質遺伝の完全な否定、進化過程が漸進的な変化であり、突然変異は集団(メンデル集団)内の遺伝子頻度の変化=小進化を基本として説明でき、その進化の方向は自然選択によって規定される、という内容を骨子としている。いわゆるネオダーウィン主義の進化理論として再構成されたわけである。そうした試みを経て、生物学のあらゆる問題は進化的な説明を必要としていると考えられるようになった。とりわけ、分子遺伝学、行動学、生態学などに大きな影響を与えてきた。さまざまな生物学的構造や機能の存在する意義が問われ、その選択的利益を説明することが一般化してきた。進化についての新たな研究がむしろここから再出発したともいえよう。
 しかしながら、研究の進展は分野によってさまざまであり、1950年代までは、たとえば動物の社会行動や有性生殖の進化を自然選択で説明することは困難にみえていた。さらに、いわゆるルイセンコ論争にみられるように、遺伝=粒子論批判も根強いものがあった。
 一方、遺伝子は、その後、生化学的な研究によって「一遺伝子/一酵素」説の裏づけを得て、1953年ワトソンJ. D. Watson(1928― )とクリックF. H. C. Crick(1916― )によりDNA(デオキシリボ核酸)として実体的に把握されるに及び、1960年代までに遺伝子概念、遺伝機構の分子レベルでの基本的解明が進んだ。遺伝情報が核酸からタンパク質へ流れるというセントラルドグマは、ワイスマンの原理を分子レベルで説明したものと解され、獲得形質遺伝をめぐる論争に決定的ともいえる衝撃を与えることとなった。現代の進化論は、この分子遺伝学の発展・成果を抜きにしては語れない。[遠藤 彰]

進化研究の展望

1960年代から現在に至るまで、進化理論をめぐる現代の状況には目覚ましいものがある。生物学の各分野や古生物学の活発な研究が相次ぎ、数多くの論争そして成果が生み出され、各分野の教科書は軒並みに書き変えられてしまった。ここでは主要な論点を列挙するにとどめざるをえない。
(1)大進化の変化パターンは漸進的かそれとも急激な変化と長い停滞からなるか、(2)自然選択の単位は個体か集団かそれとも遺伝子か、(3)進化を説明するのは適応論プログラムか中立説か、(4)分類学の方法をめぐって、表形分類か分岐分類かそれとも進化分類か、(5)種形成論をめぐって、異所的か同所的か側所的か、など、いずれも単純にどちらを採用するかということではなく、といって単純に折衷すればよいというのでもない。進化についての根本的視点にかかわって重要な論争が数多く展開されてきている。
 それらの背景には、もちろん新しい事実や仮説が数多く生まれてきている。生命の起源についても、その生化学的基盤の大胆な検証実験や核酸―タンパク質系の生成に関する理論的理解が進展した。また、分子レベルの中立突然変異の存在が明らかにされ、免疫機構の解明が進み、また遺伝子の分析技術も飛躍的に進歩し、真核生物の遺伝機構の複雑さがしだいに明らかになりつつあり、従来の原核生物を基盤にしたセントラルドグマの枠組みには単純には収まらなくなってきた。その真核生物の起源に関しても、その細胞内小器官といくつかの原核細胞との相同性から、原核生物の共生説がかなり有力視されてきている。これが事実だとすると、分岐一方で考えてきた種形成論も、この限りにおいては根本的に修正を迫られることになる。染色体の進化についても遺伝子重複説が提出され、植物の一部では妥当性を認められつつある。発生分化の機構は依然として難題だが、いくつかの興味深い仮説も出されている。有性生殖の起源は将来解かれるべき重要問題の一つであるが、その進化的意義は深く認識されるようになってきた。また、動物の行動についても新しい見方が生まれ、神経生理機構の解明にとどまらず、配偶行動や擬態、利他的行動などについての数多くの新しい知見が得られてきた。生態学でも、自然選択に関してr―K選択説をはじめ、生活史や社会構造についての解明が進み、競争概念を基礎にした生物群集論も試みられ、さらに共進化や生物の相互作用の理解、関心が深まりつつある。さらに、大陸移動説を踏まえた古生物学の再構成はもちろんのこと、いわゆる大量絶滅の原因についても隕石(いんせき)説を発端に刺激的な論争も行われている。
 さまざまな事実や新しい視点によって、従来の総合説は進化生物学として、より広範な形でいま一度再構築されつつあるかにもみえるが、旧来のネオダーウィン主義の枠組みへの多くの異論も出され、そのなかには単なる誤解も多々あるものの、今後も波瀾(はらん)含みで展開するものと思われる。[遠藤 彰]
『中村禎里著『生物学の歴史』新版(1983・河出書房新社) ▽八杉竜一著『生物学の歴史』上下(1984・NHKブックス) ▽八杉竜一著『近代進化思想史』(中央公論社・自然選書) ▽中原英臣著『図解雑学 進化論』(1999・ナツメ社) ▽小川眞里子著『甦るダーウィン――進化論という物語り』(2003・岩波書店) ▽C・ダーウィン著、八杉竜一訳『種の起原』上中下(岩波文庫) ▽J・B・ラマルク著、小泉丹他訳『動物哲学』(岩波文庫) ▽佐倉統著『進化論の挑戦』(角川ソフィア文庫)』

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世界大百科事典内の進化論の言及

【スコープス裁判】より

…プロテスタント正統主義(ファンダメンタリズム)を熱心に信奉する南部はバイブル・ベルトとよばれていたが,同年3月テネシー州議会は,聖書の天地創造説に反する理論を公立学校で教えることを禁じた。そのためデートンという小さな町の高校の生物学教師スコープスJohn T.Scopesは進化論を教えて逮捕され,7月に裁判が行われた。これが一躍全米の注目を集めたのは,3回も大統領候補に指名され,国務長官を務めたこともあるW.J.ブライアンが検察側に,当代一流の弁護士ダローClarence S.Darrow(1857‐1938)が弁護側に加わったためである。…

【生物学】より

…新しい手段と意欲によって,生物の多様性やいろいろの現象を関連して見る必要が認識され,解剖学や生理学では比較の方法が意識されるようになった。これは次の世紀での進化論に基礎を与えるものであった。
[生命観の変化]
 生命観についてみると,16世紀から17世紀にかけてはS.サントリオやファン・ヘルモントに発したイアトロケミスト(医療化学派),ボレリに代表されるイアトロフィジシスト(医療物理学派)の考えかた,またデカルトの二元論などが,それぞれの時点での物理学や化学の進歩を反映しつつ,生命現象を統一的にとらえようと試みてきた。…

【動物哲学】より

…ラマルクの著書。進化論を体系的に述べた最初の書物。1809年刊。…

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