豊島庄(読み)としまのしよう

日本歴史地名大系 「豊島庄」の解説

豊島庄
としまのしよう

平安時代末期に豊島郡豊島郷本拠とした在地領主豊島氏によって成立した寄進型庄園とみられるが、詳しいことは不明。わずかに「吾妻鏡」仁治二年(一二四一)四月二五日条に「豊島庄犬食名」、「源平闘諍録」巻五第四話に「豊島御庄滝ノ河」とみえる。後者に「御庄」とあり、さらに後年ではあるが文安五年(一四四八)一一月日の熊野神領豊島年貢目録(熊野那智大社文書)によって紀伊国熊野那智社への年貢納入が知られることから、庄園領主は紀伊国熊野山であったと推定される。王子おうじに所在する若一王子にやくいちおうじ(現王子神社)は熊野若一王子を勧請したものであり、かつ同社は豊島熊野権現とも称されていることから(文保二年七月「金輪寺大般若経巻三四九奥書写」一話一言)、同社が豊島庄の総鎮守であったとみて間違いない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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