豊浦宮跡(読み)とよらのみやあと

日本歴史地名大系 「豊浦宮跡」の解説

豊浦宮跡
とよらのみやあと

仲哀天皇が熊襲征討の際に営んだという宮跡で、忌宮いみのみや神社の境内地辺りと伝えられる。

「日本書紀」仲哀天皇二年九月に「宮室を穴門に興てて居します。是を穴門豊浦宮と謂す」とみえる。天皇は同九年二月橿日かしい(現福岡県福岡市)死去、豊浦宮はその殯所となっている(日本書紀)遺体は新羅出兵のため葬ることができず、翌年の神功皇后摂政元年二月までこの豊浦宮で殯が行われ、皇后が出兵よりの帰途豊浦宮に立ち寄り遺体をおさめて京へ向かった(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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