忌宮神社(読み)イミノミヤジンジャ

デジタル大辞泉 「忌宮神社」の意味・読み・例文・類語

いみのみや‐じんじゃ【忌宮神社】

山口県下関市にある神社。祭神は仲哀天皇神功じんぐう皇后応神天皇。文武の神として信仰される。長門ながと二の宮

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精選版 日本国語大辞典 「忌宮神社」の意味・読み・例文・類語

いみのみや‐じんじゃ【忌宮神社】

  1. 山口県下関市長府宮の内町にある神社。旧国幣小社。祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇。二宮八幡。仲哀天皇の穴門豊浦宮(あなととようのみや)の旧跡で、神功皇后の創祀と伝えられる。いむのみやじんじゃ。

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日本歴史地名大系 「忌宮神社」の解説

忌宮神社
いみのみやじんじや

[現在地名]下関市大字豊浦村 宮ノ内

長府地域のほぼ中央に位置し、東方に周防灘を望む小高い丘に鎮座する。正面の鳥居を入ると鬼石が横たわり、一段高い所に社殿が建ち並ぶ。本殿を挟んで左に若宮わかみや神社、右に高良こうら社がある。すべて南面。社殿の後方は楠などの社叢となっている。祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇。旧国幣小社。

社伝によれば、仲哀天皇が熊襲平定のため豊浦宮とよらのみやを興して七ヵ年間政務を執った旧跡にあたる。天皇は筑紫で没し、神功皇后は遺骸を豊浦宮に残して新羅に出兵。のち天皇の霊をこの地に祀ったのに始まる。聖武天皇の時神功皇后を祀り忌宮と称し、さらに応神天皇をも祀り豊明社とした。のちこの三社は忌宮をもって代表的によばれるようになったという。

「延喜式」神名帳に「忌宮イムミヤノ神社」とあり、「三代実録」の貞観一五年(八七三)一二月一五日条に「授長門国従五位下忌宮神従五位上」とみえる。また「本朝無題詩」の釈蓮禅の詩「着長門壇即事」に「里社祈風供木綿遠岸有一社、当州称二宮、於舟中而遥拝、指社頭而奉使、是不日祈順気」とみえ、この頃すでに住吉すみよし神社の一宮に次いで二宮と称されていた。

中世、この忌宮神社が武士の厚い崇敬を受けたことは、当社に残る関東御教書をはじめとする多くの文書からうかがえる。延慶二年(一三〇九)の火災に際して幕府は同年四月、御教書を下して造営を進め、さらに同一一月にも

<資料は省略されています>

と御教書を下して長門国中に段別米・銭をかけ、造営をするよう守護に命じている(長門二宮忌宮神社文書)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「忌宮神社」の意味・わかりやすい解説

忌宮神社
いみのみやじんじゃ

山口県下関市長府町宮ノ内に鎮座。祭神は仲哀(ちゅうあい)天皇、神功(じんぐう)皇后、応神(おうじん)天皇。社伝によると仲哀天皇が九州熊襲(くまそ)平定のため西下したときの行宮(あんぐう)穴門豊浦宮(あなととよらのみや)旧址(きゅうし)にあたるという。筑紫(つくし)(福岡県)香椎(かしい)で崩じた仲哀天皇の神霊を神功皇后が新羅(しらぎ)征討後に祀(まつ)ったのが創祀(そうし)と伝えられる。聖武(しょうむ)天皇(在位724~749)のとき、香椎宮(かしいぐう)より神功皇后、応神天皇の分霊を勧請(かんじょう)し、『延喜式(えんぎしき)』では小社に列した。長門(ながと)国二宮。以後、大内氏、毛利氏など武将の信仰も厚く、1916年(大正5)国幣小社に列せられた。例祭は12月15日。8月7日から1週間続く数方庭祭(すほうていさい)は勇壮な神事として有名。飛地(とびち)境内満珠(まんじゅ)、干珠(かんじゅ)の2島は国の天然記念物。また、社宝『紙本墨書豊浦宮法楽和歌』、伝則宗(のりむね)刀、長船盛光の太刀(たち)は国の重要文化財

[阪本是丸]

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百科事典マイペディア 「忌宮神社」の意味・わかりやすい解説

忌宮神社【いみのみやじんじゃ】

下関市豊浦村に鎮座。旧国幣小社。仲哀天皇・神功皇后・応神天皇をまつる。文武の神として信仰が厚い。延喜式内社とされる。例祭(12月15日)のほかに歩射祭(1月16日),蚕糸祭(3月28日),数方庭(すほて)祭(8月7〜13日),御斎祭(12月7〜14日)など。

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