長府地域のほぼ中央に位置し、東方に周防灘を望む小高い丘に鎮座する。正面の鳥居を入ると鬼石が横たわり、一段高い所に社殿が建ち並ぶ。本殿を挟んで左に
社伝によれば、仲哀天皇が熊襲平定のため
「延喜式」神名帳に「
中世、この忌宮神社が武士の厚い崇敬を受けたことは、当社に残る関東御教書をはじめとする多くの文書からうかがえる。延慶二年(一三〇九)の火災に際して幕府は同年四月、御教書を下して造営を進め、さらに同一一月にも
と御教書を下して長門国中に段別米・銭をかけ、造営をするよう守護に命じている(長門二宮忌宮神社文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
山口県下関市長府町宮ノ内に鎮座。祭神は仲哀(ちゅうあい)天皇、神功(じんぐう)皇后、応神(おうじん)天皇。社伝によると仲哀天皇が九州熊襲(くまそ)平定のため西下したときの行宮(あんぐう)穴門豊浦宮(あなととよらのみや)旧址(きゅうし)にあたるという。筑紫(つくし)(福岡県)香椎(かしい)で崩じた仲哀天皇の神霊を神功皇后が新羅(しらぎ)征討後に祀(まつ)ったのが創祀(そうし)と伝えられる。聖武(しょうむ)天皇(在位724~749)のとき、香椎宮(かしいぐう)より神功皇后、応神天皇の分霊を勧請(かんじょう)し、『延喜式(えんぎしき)』では小社に列した。長門(ながと)国二宮。以後、大内氏、毛利氏など武将の信仰も厚く、1916年(大正5)国幣小社に列せられた。例祭は12月15日。8月7日から1週間続く数方庭祭(すほうていさい)は勇壮な神事として有名。飛地(とびち)境内の満珠(まんじゅ)、干珠(かんじゅ)の2島は国の天然記念物。また、社宝『紙本墨書豊浦宮法楽和歌』、伝則宗(のりむね)刀、長船盛光の太刀(たち)は国の重要文化財。
[阪本是丸]
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