豊浦郷(読み)とようらごう

日本歴史地名大系 「豊浦郷」の解説

豊浦郷
とようらごう

和名抄」にみえるが諸本ともに訓注はない。推古天皇の皇居豊浦宮は、元興寺伽藍縁起并流記資財帳に「等由羅宮」とあり、長門国豊浦郡の訓は「止与良」(刊本郡部)。遺称地とされる河内郡豊浦村(現東大阪市)寛文(一六六一―七三)頃には「とよら」とよばれているので、古くには「とゆら」または「とよら」であったろう。郷の所在地はほぼ河内郡条里の六条辺り、豊浦村のほか出雲井いずもい(現東大阪市)も含む。西限は恩智おんぢ川。

「日本書紀」仁徳天皇一四年条に「大溝を感玖こむくに掘る。乃ち石川の水を引きて、上鈴鹿・下鈴鹿・上豊浦・下豊浦、四処の郊原を潤ほし、以て墾して四万余頃の田を得たり」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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