豊田一色村
とよだいつしきむら
[現在地名]川越町豊田一色
朝明川の下流北岸、南福崎村の西北に位置し、江戸時代を通じて桑名藩領。寛保三年(一七四三)では、本高のほか四七石余の新田高がある。また田六反二畝二〇歩、畑一反一畝一三歩を一株とする株地割が行われていた(「石割算用田畑反畝高揃帳」大塚家蔵)。享和三年(一八〇三)段階では株は全部で三二株あり、株の持高は当村大庄屋大塚久大夫の三株五分を筆頭に、最少の一歩(分)六厘三毛五まで九段階に分れていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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