桑名宿(読み)くわなしゆく

日本歴史地名大系 「桑名宿」の解説

桑名宿
くわなしゆく

慶長六年(一六〇一)正月、江戸幕府は東海道宿駅を制定した際、桑名宿が定められた。四日市宿へは陸路三里八町、みや宿(現名古屋市)へは海路七里である。その後、寛永一一年(一六三四)に東海道の脇往還として佐屋さや路が設定され、佐屋宿(現愛知県佐屋町)へ川路三里が定められた。桑名宿の東の入口は七里の渡にあり、ここに川口番所・高札場・人馬問屋・船会所がある。往還通りは川口かわぐちから南へ江戸えど町・かた町を通り、西へ右折してきよう町に至る。京町の西端には京町御門と番所があり、御門外は城下の外郭堀に突当るため枡形に曲折して、南は吉津屋よつや町・鍛冶かじ町に至る。ここに鍛冶町御門と番所があり、この御門外もやはり枡形に曲折している。さらに南へしん町・伝馬てんま町に達し、南端七曲ななまがり御門と番所がある。同門の外で城下の外郭堀を渡り、西へ右折して鍋屋なべや町・矢田やだ町を通る。矢田町は立場となっている。さらに南へ左折して福江ふくえ町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報