貝原塚村(読み)かいはらづかむら

日本歴史地名大系 「貝原塚村」の解説

貝原塚村
かいはらづかむら

[現在地名]龍ケ崎市貝原塚町

台地上にあり、北はいずみ村、南は八代やしろ村。「関城繹史」によれば、旧名高井たかい村と称し、南北朝争乱期の興国二年(一三四一)には南朝側の拠った高井城が北朝方の屋代信経らに攻め落されている。高井城跡は明確でないが、字下貝原塚しもかいはらづかに貝原塚城跡、字白蔵寺はくぞうじに高井城下城跡がある。

元禄郷帳の村高は七五三石余、享保一一年(一七二六)には旗本斎藤氏領で、年貢米藤蔵とうぞう河岸(現稲敷郡河内村)から利根川をさかのぼって江戸に運ばれた(「御年貢米御蔵納入用帳」宮本家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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