日本歴史地名大系 「財崎城跡」の解説 財崎城跡さいざきじようあと 広島県:東広島市志和堀村財崎城跡[現在地名]東広島市志和町志和堀生城(おうぎ)山東側を流れる東(ひがし)川と志和(しわ)盆地を流れる関(せき)川の合流地の東方、西に延びる比高一〇メートル足らずの丘陵先端を利用した城。現在志和堀小学校が建ち、原形をとどめないが、東側尾根を空堀で断ち切り、郭を一、二段配する程度であったと思われ、居館的性格が強い。城主は天野氏。天野氏は伊豆天野(あまの)郷(現静岡県田方郡伊豆長岡町)を本貫とし、鎌倉初期から志芳(しわ)庄地頭職を得ていたが、南北朝初頭、政貞とその従弟顕義の二人が当庄に来住、顕義が志和東(しわひがし)村米山(こめやま)城に拠ったのに対して、政貞は志和堀村金明山(きんめいざん)城・財崎城を拠城としたといわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by