賀佐村(読み)かさむら

日本歴史地名大系 「賀佐村」の解説

賀佐村
かさむら

[現在地名]峰町賀佐

三根みね村の南西にあり、三根浦に臨む。南に竹無たけなし山があり、北の在家ざいけ山の先は茅床かやとこ鼻が浦に突き出る。中世よりみえる。「郡方毎日記」寛永一五年(一六三八)条に「かさ」とある。正保二年(一六四五)の物成一三石余のうち麦一二石余・籾一石余(二郡村々物成)。寛文二年(一六六二)検地帳にはみね郡賀佐村とあり、高一六石余。元禄一六年(一七〇三)の対州郷村帳では三根郷賀佐村として畠木庭物成三二石余、家数二一・社一・寺一、人数一一〇・公役人一六・肝入一・猟師六、牛一七・馬一一、船七で、寺は禅宗泉福せんぷく寺。明和九年(一七七二)年貢は二五石余で、家数一六・人数一〇三、煎海鼠稼は以前は五、六斤も採っていたが、近年はさほどではなく、船持六人仲間が二、三斤ほどを採っているという(公儀役人廻村答書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報