日本歴史地名大系 「賀集庄」の解説 賀集庄かしゆうのしよう 兵庫県:三原郡南淡町賀集庄「和名抄」所載の三原郡賀集(かしお)郷の郷名を継承したとみられる。三原川支流大日(だいにち)川流域の現南淡町の賀集を冠する一帯に比定される。賀志尾とも記される(建仁三年一〇月二〇日「紀伊国国司庁宣」宝簡集)。建久三年(一一九二)三月日の後白河院庁下文案(大徳寺文書)に後白河院寵妃丹後局高階栄子の知行所として「賀集庄 高野宝塔三昧院領」とみえ、本家職は後白河院から丹後局に与えられ、この時に大嘗会・造内裏以下の勅院事国役以下の課役を免除されている。領家職は後白河院祈願所の紀州高野山宝塔三昧(ほうとうさんまい)院(のち宝幢院と改号)に寄進されていた。建仁三年(一二〇三)一〇月五日、後鳥羽上皇は淡路国司が御幸渡船料と号して、当庄米を差押えるのを停止させている(「後鳥羽上皇院宣」宝簡集、前掲国司庁宣)。本家職は丹後局没後、娘の宣陽門院(後白河皇女)に伝領された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by