賢勝寺(読み)けんしようじ

日本歴史地名大系 「賢勝寺」の解説

賢勝寺
けんしようじ

[現在地名]伊万里市大川町大川野字町

大川野おおかわの盆地中央部の丘陵西南端にある。山号は太陽山、真宗大谷派、本尊阿弥陀如来

多田満仲九代の子孫である大川内源太夫は出家して善賀と称し、伏熊ふしぐま山に庵を結び太陽庵と号し、天文年間(一五三二―五五)本願寺より当寺開基仏絵像本尊の下付があった。のち寛永一二年(一六三五)にも東本願寺から木仏本尊下付がある。寺号について、日在ひあり城山麓の隆勝りゆうしよう寺、大川野宿建福けんぷく寺が祈祷所として栄えたが、日在城落城とともに滅び、善賀が庵をあらため寺を建立するにあたり建福寺の建(のちに賢と改める)と隆勝寺の勝をとって賢勝寺と称したと伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む