贄代郷(読み)にえしろごう

日本歴史地名大系 「贄代郷」の解説

贄代郷
にえしろごう

和名抄」高山寺本・東急本・元和古活字本のいずれも訓を欠く。郷名の初出は藤原宮出土木簡に「尾治国知多郡贄代里」「丸部刀良三斗三年九月廿日」と記されるもので、これは年号が記されていないが、評ではなく郡名表記であることから、大宝律令施行後の木簡であることは確実である。三年は、大宝三年(七〇三)とみられる。次いで、当郷の名を記すものに平城宮出土の三つの木簡がある。「尾治国知多郡(贄カ) 」「白髪馬見塩一斗」、「尾張国知多郡贄代里和尓部」「泥(慈カ)調塩三斗」、「尾張国智多郡贄代郷朝倉里戸主和尓部色(夫カ)智調塩三斗 天平元年」とある。


贄代郷
にえしろごう

「和名抄」諸本にみえる郷名。訓は不明だが、ニエシロであろう。浜松市城山しろやま遺跡出土の木簡に「贄代(未カ)□」の表記がみえ、空海作と伝える遠江浜名淡海図(弘法大師全集)に「贄代宅村」が浜名湖の「乾」(北西)にたたずむとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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