赤井丁
あかいちよう
[現在地名]会津若松市本町・日新町
諏方四谷の北に並び、桂林寺町より西方融通寺町に行く通りで、長さ三町一四間余、家数四八。町北側の西光寺境内に家数二三軒があり、窪内といった。蘆名盛氏の家臣赤井因幡の郎等がいたための町名(新編会津風土記)。町北側に専福寺があったが、寛文年中(一六六一―七三)餌指町に移った。「戊辰若松城下明細図」をみると、町北側を入った所に時宗西光寺があり、その周りに小路があり、窪ノ内と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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