桂林寺(読み)けいりんじ

日本歴史地名大系 「桂林寺」の解説

桂林寺
けいりんじ

[現在地名]舞鶴市字紺屋

旧田辺城下の西方、愛宕あたご山麓のほぼ中央に位置する。山号天香山、曹洞宗で本尊阿弥陀如来。もと洞林とうりん寺と称した。

洞林寺の草創についてはつまびらかでないが、寺伝によれば欽明天皇二六年勅願によって建立された薬師寺に始まるといい、桂林寺九世華梁霊重の筆になる「田辺府志」は「桂林は後小松院応永八辛巳年笠翁雄和尚開創ありて洞林寺といひて」と記す。当寺は八幡宮を鎮守とするが、八幡宮についてはすでに康永四年(一三四五)の桂林寺文書にその名がみえるので、応永八年(一四〇一)以前に洞林寺もしくはその前身ともいうべき寺院があったことは確かであろう。

洞林寺から桂林寺への改称時期は明確でないが、寺伝によれば宝徳年間(一四四九―五二)といい、細川成之による桂林院(細川持常)追善のための田畑寄進が関係したと思われる。


桂林寺
けいりんじ

[現在地名]都留市金井

中世小山田氏の居館跡である中津森なかつもり館跡の北に位置する。臨済宗妙心寺派。山号は富春山。本尊薬師如来。開山は格智で、永享五年(一四三三)没。開基は小山田出羽守富春で、法名は桂林寺桂堂香公居士(甲斐国志・寺記)。富春の没年について、「寺記」は天文二一年(一五五二)としているが、「甲斐国志」には「卒年不詳」、「甲斐国志草稿」には格智と「同時ノ人ナラン」とあることから、その没年には疑問の余地が残る。


桂林寺
けいりんじ

[現在地名]小松島市中田町 寺前

しば山の山麓南西部にある。霊芝山王池院と号し、高野山真言宗。本尊は聖観音。開創年代は不明ながら、開基は阿波国守護の細川持常、開山は古幢周勝とされる。周勝は幼少時に細川頼之の養子となり、京都南禅寺・天龍寺に住した。また京都相国しようこく鹿苑ろくおん院の一〇代目院主として僧録を兼ねた。「蔭涼軒日録」永享八年(一四三六)四月一四日条には「阿波国桂林寺新命、以等助首座、伺之」とあり、新住持について将軍足利義教に伺いを立てている。


桂林寺
けいりんじ

[現在地名]稲沢市七ッ寺町 屋敷

稲園山と号し、真言宗智山派。本尊不動明王。境内四二九坪。天平七年(七三五)の創建で、仁安二年(一一六七)再建の長福ちようふく寺は、天正一九年(一五九一)清須きよす(現西春日井郡清洲町)の鬼頭孫左衛門(法名宗教)豊臣秀吉に願出て、ななでら村から清須に近い朝日あさひ(現清洲町)へ移し、その跡に大塚おおつか性海しようかい寺の良円が桂林寺を建立し長福寺末となった。


桂林寺
けいりんじ

[現在地名]宇都宮市清住一丁目

旧日光街道の東側にある。松峯山祖心院と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。文化一三年(一八一六)の寺起立帳(桂林寺文書)によれば、応永三年(一三九六)宇津宮満綱が開基となり、美濃国今須います(現岐阜県不破郡関ヶ原町)妙応みようおう寺三世竺山を開山として、城内松が峰まつがみねに建立、元和六年(一六二〇)日光街道の東側へ移したという。朱印地三〇石、塙田はなわだ村の内にもつ(慶安郷帳など)


桂林寺
けいりんじ

[現在地名]亀岡市本梅町平松

平松ひらまつの西の山麓にある。山号は永宝山、曹洞宗、本尊薬師如来。

沿革由緒などは明らかではないが、寺伝によれば道元の開基といい、もとは天王てんのう寺と称したという。天文(一五三二―五五)の頃兵火にかかり、天正三年(一五七五)一六世九天磨竜によって再興され、桂林庵と改めたと伝える。

もとの寺名天王寺については、境内の馬頭観音堂の天文二二年の棟札に「丹州桑田郡上村平松村天王寺馬頭観音ノ御図子也」とあり、また鐘楼にかかる梵鐘は火災に遭ったあとがみられ、銘文は完全に読みとれないが、「丹波桑田郡上村平松村天王寺鐘也、天文十一年十月十八日」と刻まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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