赤泊城跡(読み)あかどまりじようあと

日本歴史地名大系 「赤泊城跡」の解説

赤泊城跡
あかどまりじようあと

[現在地名]赤泊村赤泊

赤泊港を見下ろす高さ約四〇メートルの舌状に突出た丘陵上にある。東側を荒町あらまち川が流れ、丘陵先端は岩崖となって海に落込む。主郭は丘頂先端部にあり、二〇メートル四方ほどの荒地で、東側にわずかに土塁跡が認められる。東西両側に腰郭、背後は空堀が切られ、山地へ続く。伝承では城主は本間三河守と伝える。「越後上杉佐渡責太平記」などの軍記類では、天正一七年(一五八九)上杉景勝によって滅ぼされた羽茂はもち(現羽茂町)城主本間対馬守高貞の弟本間三河守高頼が在城したとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 羽茂 寺社

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む