赤泊村(読み)あかどまりむら

日本歴史地名大系 「赤泊村」の解説

赤泊村
あかどまりむら

[現在地名]赤泊村赤泊

赤泊港を中心とし海岸線に帯状町立てをなす赤泊、その北部の山地丘陵に承応(一六五二―五五)頃開かれたという赤泊新谷しんや、第二次世界大戦後の開拓である天狗塚てんぐづかの集落からなる。南東は海に面し、北東は徳和とくわ村、南西は真浦まうら村、北は小佐渡山地で下川茂しもかわも村に接する。当村から海岸沿いに徳和村浦津うらづへ出、北へ下川茂村を経て小佐渡山地を進み、梨木なしのき越で豊田とよた(現真野町)に至る道は、佐渡奉行交替の往還で、殿様とのさま道と通称された。「佐渡年代記」によると、慶長九年(一六〇四)大久保長安により、当村へ港支配の代官として横地所左衛門が派遣され、赤泊から水津すいづ(現両津市)までの村々を治めたとある。港の近くに横地氏が願主となって建立した浄土宗西方さいほう寺があり、元和期(一六一五―二四)の特徴をもつ来迎阿弥陀如来像が本尊として残る。この頃から港の機構も整えられ、番所が置かれた。


赤泊村
あかどまりむら

面積:五一・六〇平方キロ

小佐渡山地の南部に位置し、南東は日本海に臨み、約四〇キロ隔てて三島さんとう寺泊てらどまり町と相対し、南西は羽茂はもち町、西と北西は真野まの町、北は畑野はたの町に接する。村の総面積の七二パーセントは山林で覆われ、平坦な耕地はほとんどない。江戸時代には北海道へ出稼ぐ松前稼を業とする者が多く、農家では冬に蝦夷地の鰊場向けの網端縄あばなわなどを中心とした藁細工や串柿などを生産した。気候は温暖でビワシュロ・椿などの暖地性植物が自生し、良質の竹林や杉・樫・栢などの山林資源に恵まれ、栢の碁盤は江戸時代から評判が高い。


赤泊村
あかどまりむら

[現在地名]大月町古満目こまめ

江戸時代中期の土佐国絵図(県立図書館蔵)によれば小間目こまめ村と平山ひらやま村の間にあり、「土佐州郡志」は「浦尻之巽、有府庫人家、此処南山中有望魚之楼」と記す。

天正一七年(一五八九)の小間目七村地検帳に「赤泊浦」がみえ、検地面積は一町二反余。注に「赤泊ト平山トノ境ハ西ハ折ヲ尾下谷ハ八幡ノ森ノハナヲ限、浦尻ノ境ハ谷川限也」とあり、ホノギ「水ノモト」について「小間目ト阿賀泊トノ境、ウヲツクハヱ也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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