赤萩村(読み)あかはぎむら

日本歴史地名大系 「赤萩村」の解説

赤萩村
あかはぎむら

[現在地名]河野村赤萩

越前海岸から少し内陸に入った山中の河野川沿いにある。河谷を経て北東具谷ぐたに村、南東河内こうち村。元応二年(一三二〇)三月一一日付伝置いわし谷名吉家安堵状(赤萩区有文書)に村名がみえ、下って永正一二年(一五一五)二月七日付河野浦府中奉行下代連署状(西野家文書)にも「あかはきミち」とみえ、同写によれば越前海岸と府中(現武生市)を結ぶ西街道の一部、赤萩道の道橋普請を河野浦に命じている。

慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図には「赤萩三ケ村」とみえ、当村のほかに河内・具谷の両村が含まれた。同三年九月付越前府中郡在々高目録によれば大谷刑部吉継の知行地

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む