赤須城跡(読み)あかずじようあと

日本歴史地名大系 「赤須城跡」の解説

赤須城跡
あかずじようあと

[現在地名]駒ヶ根市下平 南下平

段丘上を西より流れる宮沢みやさわ川が浸食して作った谷の出口の北側段丘の突端にあり、半島形の台地段丘崖に囲まれた自然の要害の地である。台地を横切り数条の空堀や土塁が残り、しろあげ川と称する用水も引かれていて、段丘上に小城こじよう伴城平ばんじようだいら、段丘崖下に小屋こや出口でぐち等の地名が残る。また城と関係あると伝えられる天台宗東光山長春寺が城下にある。

赤須城については文献上不詳であるが、赤須を本拠として郷名を名乗った赤須氏の初見は、「貞永式目」の追加式目である「新編追加」に「信濃国御家人赤栖三郎入道遺領事、子息孫太郎与孫三郎兄弟相論之時」とあり、「信州大塔軍記」にも赤須孫三郎の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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