越前鎌(読み)えちぜんがま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「越前鎌」の意味・わかりやすい解説

越前鎌
えちぜんがま

越前国府中(ふちゅう)(福井県越前市)の特産物として中世から生産された鎌。府中は越後(えちご)(新潟県)や播磨(はりま)(兵庫県)と並んで、打刃物の三大産地の一つであった。数多い種類の鎌をはじめ、包丁、鉈(なた)、鋏(はさみ)なども生産され、江戸時代には福井藩の保護統制により、たいへん栄えた。とくに安永(あんえい)年間(1772~81)がもっとも盛んな時代だったらしく、鍛冶(かじ)株仲間も、鍛冶屋横丁だけで200軒を超え、問屋も50軒あったという。府中とその周辺に住んで行商をした人々により北陸、関東、大坂、京都などに売られた。越前市の水間谷(みずまだに)や月尾谷(つきおだに)に住む人たちがもっとも熱心で、300人ぐらいが行商に出たこともあったが、現在はわずかとなった。

[渡邊守順]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の越前鎌の言及

【武生[市]】より

…中世に守護代甲斐氏,近世には福井藩家老本多氏の館が置かれ,北陸街道の宿場を兼ねた町屋は嶺北地方南部にかなりの商圏をもち,近年まで街道中央の水路(今は暗渠(あんきよ)の下水道となる)と松並木に旧景観を残していた。鎌倉時代の刀鍛冶に起源をもつという打刃物は江戸時代に越前鎌として広く知られ,今も包丁,押切,はさみなどを特産する。明治期に絹織物が福井から伝わり,大正期以降九頭竜川上流の豊富な電源に引かれて化学肥料,電気機械など近代工業も立地した。…

【府中】より

…町奉行,町手代,町代で町を支配し,役所を掛屋役所といった。酒,さらし布,鳥の子のほか,打刃物(越前鎌)が代表的産業で,1797年(寛政9)鍛冶77軒,鞴(ふいご)株139具,1862年(文久2)には201具に増え,1859年(安政6)には年産80万7000丁,売上げ2万両に及んだ。町数,戸口は,慶長ころ500戸,1625年(寛永2)18町,884軒,19世紀初め48町,2849軒,7696人。…

※「越前鎌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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