足坂村(読み)あしさかむら

日本歴史地名大系 「足坂村」の解説

足坂村
あしさかむら

[現在地名]美里村足坂

長野ながの川の左岸にあり、五百野いおの村の北にあたる。集落は伊賀街道に沿ってあり、山地と長野川に挟まれた地域にある。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳にこの村の名がみえないので、近世初期にはまだ村切されていず、村高からみて五百野村に含まれていたと思われる。慶安郷帳(明大刑博蔵)に「足坂村」と現れる。江戸時代を通じて津藩領。寛延(一七四八―五一)頃の戸数七三、郷士一、人口三一一、馬一、牛一五。神祠に稲荷、寺院に永福えいふく(天台真盛宗)観音寺があった(宗国史)。明治五年(一八七二)の村明細帳(徳川林政史蔵)によると、戸数五九、人口二六〇(男一三七・女一二三)であり、木挽三、大工・鍛冶・医師・油絞・酒造・紺屋各一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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