足立源一郎(読み)アダチ ゲンイチロウ

20世紀日本人名事典 「足立源一郎」の解説

足立 源一郎
アダチ ゲンイチロウ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治22(1889)年7月8日

没年
昭和48(1973)年3月31日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
京都市立美術工芸学校〔昭和13年〕卒,関西美術院,太平洋画研究所

経歴
明治41年上京、太平洋画研究所に学び、大正3年パリに留学。7年帰国後、日本美術院洋画部同人、11年春陽会創立に参加。12〜14年ヨーロッパ再遊。昭和11年日本山岳画協会を結成。ヨーロッパ遊学中、山岳に興味を覚え、写実的な作風による山岳風景を創作した。大正10年刊行の「ドオミエ」をはじめ「アンリー・ルウッソウ」「山に描く」「山は屋上より」「日本の山旅」などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「足立源一郎」の解説

足立源一郎 あだち-げんいちろう

1889-1973 大正-昭和時代の洋画家
明治22年7月8日生まれ。関西美術院などでまなび,大正3年フランスに留学。山の画家として知られ,昭和11年日本山岳画協会を創立。作品に「前穂高岳北穂より」などがある。昭和48年3月31日死去。83歳。大阪出身。京都市立美術工芸学校卒。著作に「山に描く」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「足立源一郎」の解説

足立 源一郎 (あだち げんいちろう)

生年月日:1889年7月8日
大正時代;昭和時代の洋画家
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の足立源一郎の言及

【明治・大正時代美術】より

…文展を離れて闘うことになったこの青年画家たちが,京都画壇に与えた刺激は小さなものではなく,彼らの出現によって栖鳳以降にきざしていた京都画壇の近代化への脱皮をうながすことになった。 20年の第7回院展後,日本画部との感情的対立から日本美術院洋画部を解散した小杉放庵,森田恒友(つねとも)(1881‐1933),山本鼎(かなえ)(1882‐1946),倉田白羊(1881‐1938),足立源一郎(1889‐1973)らは,梅原竜三郎を加えて,22年春陽会を結成する。ほかに客員として,岸田劉生,木村荘八,中川一政,椿貞雄の草土社勢,院展系の石井鶴三,今関啓司,山崎省三,それに万鉄五郎が迎えられた。…

※「足立源一郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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