日本歴史地名大系 「軽庄」の解説 軽庄かるのしよう 奈良県:橿原市畝傍地区大軽村軽庄興福寺大乗院領荘園である。三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に<資料は省略されています>とある。軽庄の所在は荘号からみると、現大軽(おおがる)町であろう。軽国府(かるこふ)は当庄の末荘であろう(→軽国府)。面積は五町と考えられる。六名からなるが、公事等は名別のものが多く、均等名であろう。大乗院からの賦課のほか、寺門からも段銭が課されているが、越智郷段銭算用状にも「加留庄二町四反大」とあり、春日社の段銭もあった。ともに賦課面積は同じである。安位寺御知行とあるが、これは安位寺経覚が請負っていたもので、預所と考えられるが、実際には大軽(おおかる)村の在地武士賀留氏が代官として知行した。「大乗院雑事記」明応二年(一四九三)正月晦日条に「越智一族賀留分 軽庄一円代官」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by