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辺見十郎太 へんみ じゅうろうた

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

辺見十郎太 へんみ-じゅうろうた

1849-1877 幕末-明治時代の武士,軍人。
嘉永(かえい)2年11月7日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。明治4年近衛陸軍大尉となるが,6年西郷隆盛の帰郷にしたがい鹿児島にもどる。西南戦争では熊本城攻撃の小隊長や雷撃隊大隊長をつとめ勇将として知られた。10年9月24日鹿児島城山の岩崎谷で戦死。29歳。名は昌邦。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

辺見十郎太

没年:明治10.9.24(1877)
生年:嘉永2.11.7(1849.12.21)
明治初期の陸軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士辺見仲直の長男。戊辰戦争の際,薩摩藩2番小隊長として奥羽地方を転戦した。明治2(1869)年鹿児島常備隊小隊長,4年御親兵の一員として上京し近衛陸軍大尉となる。征韓論破裂後,西郷隆盛参議の辞職に従って鹿児島に帰り,私学校創立に加わり,8年には宮之城区長を務める。10年西南戦争では薩軍3番大隊1番小隊長を務め,段山方面からの熊本城攻撃に奮戦,3月には薩軍兵員不足のため帰郷して募兵,八代の政府軍を襲った。その後は電撃隊大隊長として大口,踊,末吉と転戦,可愛岳突破では先陣を切り,鹿児島突入後も奮戦し戦死した。薩摩隼人の典型的猛将。

(田浦雅徳)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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