朝日日本歴史人物事典 「近松茂矩」の解説
近松茂矩
生年:元禄10(1697)
江戸中期の兵学者。一全流兵学の創始者。尾張(名古屋)藩士。通称は彦之進。南海,嚢玄子と号した。武術を好んだ藩主徳川吉通より「武道全流道知辺」の伝と称し,兵学武術の統合を命じられる。19歳にして全流練兵伝の門戸を開いて兵学を教授する。吉通の没後,その遺命によって儒学色の強い佐枝系長沼流兵学を学び,さらに神軍伝大星思想を導入して日本的兵学の神道精神を唱導した。のち稲富流など数流の砲術を導入して一全流練兵伝を大成し,尾張藩独特の兵法の基盤を築いた。<著作>『昔咄』『鉄砲茶話附尾問答』『火砲習録』『田猟射・田猟銃』
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報