20世紀日本人名事典 「近藤綸二」の解説 近藤 綸二コンドウ リンジ 大正・昭和期の司法官僚,弁護士 元・東京高裁長官。 生年明治32(1899)年10月8日 没年昭和57(1982)年4月12日 出生地東京都千代田区 学歴〔年〕東京帝大法学部〔大正12年〕卒 経歴昭和13年から27年まで弁護士。傍ら、中央大学法学部教授としてフランス法を担当。戦後22年海野普吉らと自由人権協会を設立、初代専務理事、副理事長を務めた。法曹一元を求める声が高まる中で、弁護士、国際法律家の分野から裁判官に起用され、27年東京家裁所長、38年東京高裁長官を歴任。“昭和のがんくつ王”といわれた吉田石松翁の判決際、法廷内にムービーカメラの持込みを認めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤綸二」の解説 近藤綸二 こんどう-りんじ 1899-1982 大正-昭和時代の弁護士,裁判官。明治32年10月8日生まれ。大正13年弁護士を開業。昭和22年海野普吉らと自由人権協会を創立。26年中央大教授。翌年東京家裁所長となり,新少年法などの理念確立につくす。広島,名古屋,東京の高裁長官を歴任。44年人間に等級をつけるべきでないと勲一等叙勲を辞退。昭和57年4月12日死去。82歳。東京出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by