日本歴史地名大系 「迫間浦」の解説 迫間浦はざまうら 三重県:度会郡南勢町迫間浦[現在地名]南勢町迫間浦押淵(おしぶち)村東方の五(ご)ヶ所(しよ)湾に沿った海崖にある。北は鶴路(つるじ)山、北東は約三キロ海を隔てて中津浜(なかつはま)浦に対する。東は約一・五キロ海を隔てて礫(さざら)浦、南は相賀(おうか)浦。「神鳳鈔」に「迫」とあり、「外宮神領目録」に「迫御厨」とある故地。地名は礫浦と中津浜浦の岬に挟まれた地に由来するものか。西方には福浦(ふくら)と称される船舶の停泊に適した曲湾がある。この湾は礫湾とも称する。集落は湾を囲んだところまで続く。迫間浦と礫浦の間には三浦(みうら)と称される曲湾がある。慶長二年(一五九七)正月二六日の竈山地子南嶋六竈(竈方文書)に「廿五ケ所之地子むかし在々へ来候書付之事」として「あさう田山同 はさまへ参」とあり、同一六年の竈方文書にも「慶長十六年竈、押淵、迫間、山境目究ル右一札所参タリ云々」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by