迫間田村(読み)はさまだむら

日本歴史地名大系 「迫間田村」の解説

迫間田村
はさまだむら

[現在地名]小山市迫間田

巴波うずま川下流左岸に集落が開け、南東端を与良よら川が南西流する。北は寒川さむかわ村。低地でしばしば水害にあった。年月日未詳の下野国寒川郷等譲状(金沢文庫古文書)に「はさまたのかう」とみえる。慶安郷帳・元禄郷帳では廻間田村と記される。寒川郡に属し、文禄四年(一五九五)の榎本領二十四村惣高覚(大出善作文書)には迫田とあり、高五〇五石余。慶長一〇年(一六〇五)榎本藩領、寛永一七年(一六四〇)幕府領、正保元年(一六四四)旗本佐原・今福・隠岐・久保の四給。元禄一一年(一六九八)下総古河藩領。文化一四年(一八一七)の家数六五、男一六九・女一四三(「人別改帳」青木アイ文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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