速水堅曹(読み)はやみ・けんぞう

朝日日本歴史人物事典 「速水堅曹」の解説

速水堅曹

没年:大正2.1.18(1913)
生年天保10.6.13(1839.7.23)
明治期の製糸技術指導者。武蔵国入間郡川越町(埼玉県川越市)の川越藩士の家に生まれる。藩主移封により前橋に移住。明治3(1870)年,深沢雄象と藩営前橋製糸所を設立。これが日本最初の洋式器械製糸所である。速水は各地からここに技術伝習にやってきた人々を指導した。さらに福島県の二本松製糸場の設立(1873)にも協力し,ここも官営富岡製糸場と並んで各地に器械製糸技術を普及させる拠点となった。その後,フィラデルフィア万博(1876)の繭生糸審査員や富岡製糸所長,直輸出商社同伸会社社長などを歴任し,日本の近代製糸業の発展に尽くした。前橋製糸所設立のころ,しばしば自宅にも帰らずにスイス人技師ミューラーからヨーロッパの製糸技術を吸収せんとした,と自ら書き遺しているあたりに,器械製糸の発展にかける気概が窺われる。<参考文献>『群馬県史』資料編23巻,通史編8巻

(松村敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「速水堅曹」の解説

速水堅曹 はやみ-けんそう

1839-1913 明治時代の製糸技術者。
天保(てんぽう)10年6月13日生まれ。もと上野(こうずけ)前橋藩士。明治3年スイス人技師C.ミュラーらの指導で,日本最初の洋式機械製糸所である藩営前橋製糸所を設立。12年官営富岡製糸所長。大正2年1月18日死去。75歳。武蔵(むさし)川越(埼玉県)出身

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