日本歴史地名大系 「速水村」の解説 速水村はやみむら 滋賀県:東浅井郡湖北町速水村[現在地名]湖北町速水八日市(ようかいち)村の南に位置。東を高時(たかとき)川が南流、南部を丁野木(ちようのぎ)川が西流し、北国街道が集落内を通る。早水・速見などとも記し、近世には南速水村と区別して北速水村とも称した。天正一一年(一五八三)三月七日、柴田勝家の臣、加賀尾山(おやま)城(現石川県金沢市)城主佐久間盛政が「早水村辺」を焼払っている(浄信寺文書)。同一三年閏八月には羽柴秀吉が山内一豊に「北早水」に二〇石、「北郡朝日郷ノ内速見村入作」三四石余を宛行っており(山内文書)、文禄五年(一五九六)三月一日の石田三成村掟(南部文書)によれば「うば・寺庵」など四三軒、奉公人五軒・庄屋一軒・夫役人九三軒。また年未詳の下間頼廉書状(柴辻文書)によれば「ハヤミノ町寄中」が教如への見舞として「青銅五十疋」を進上するよう求められている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報