日本大百科全書(ニッポニカ) 「逸見宗助」の意味・わかりやすい解説
逸見宗助
へんみそうすけ
(1843―1893)
明治の撃剣家。下総(しもうさ)(千葉県)佐倉藩の立身(たつみ)流居合(いあい)柔術の師範役逸見忠蔵(ちゅうぞう)信敬(のぶたか)の長男に生まれる。幼少から武術に励み、1856年(安政3)14歳のとき向井(むかい)流平水(へいすい)目録を、翌57年に立身流立合(たちあい)目録、60年(万延1)に同居合目録を得、61年(文久1)藩命によって江戸に遊学、鏡新明智(きょうしんめいち)流桃井春蔵(もものいしゅんぞう)(4代直正(なおまさ))の士学館において修行1年余、頭角を現した。80年(明治13)ころ山岡鉄舟の勧めで警視局巡査を拝命、85年警部補に昇進し、本郷元町に道場尚武館(しょうぶかん)を開いた。翌86年古参の梶川義正(かじかわよしまさ)、上田馬之助(うえだうまのすけ)とともに、府内各署に勤務する剣術世話係らの等級認定の審査にあたり、87年には警部に進んで、警視庁剣術確立期のリーダーとして活躍した。
[渡邉一郎]