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桃井春蔵 もものいしゅんぞう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

桃井春蔵
もものいしゅんぞう

鏡新明智流宗家の名。八郎左衛門直由 (1724~74) の創始にかかり,無辺流槍術,戸田流居合,一刀流,柳生流,堀田流を学び,戸田流抜刀術の鏡心の型名によって初め鏡心明智流と称した。春蔵は2世直一以降の通称である。

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百科事典マイペディアの解説

桃井春蔵【もものいしゅんぞう】

幕末の剣客。名は直正。もと田中甚助といったが,桃井家の養子となり,鏡心明智流の道場を継ぎ,1861年から幕府の講武所でも剣を教えた。千葉周作斎藤弥九郎とともに幕末三剣客といわれた。
→関連項目斎藤弥九郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桃井春蔵 もものい-しゅんぞう

1825-1885 幕末の剣術家。
文政8年生まれ。鏡新明智(きょうしんめいち)流4代。桃井直雄の婿養子。千葉栄次郎,斎藤新太郎と剣名をきそい,「位は桃井」と評された。門人に武市瑞山(たけち-ずいざん),上田馬之助,逸見(へんみ)宗助ら。幕府講武所師範役並となり,維新後は大阪で神職などをつとめた。明治18年12月8日死去。61歳。駿河(するが)(静岡県)出身。本姓は田中。名は直正。

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朝日日本歴史人物事典の解説

桃井春蔵

没年:明治18.12.8(1885)
生年:文政8(1825)
幕末の剣道家。沼津藩水野家の臣・田中豊秋の子。諱は直正。14歳で鏡新明智流の桃井道場に入門,17歳で剣の天分を認められ,桃井家の養子となった。春蔵は同流派の4代目に当たり,その道場士学館は幕末の江戸で,「位は桃井,技は千葉(周作),力は斎藤(弥九郎)」と称された。剣技に備わる品位が高くかわれていたのであろう。土佐勤皇党の武市瑞山が一時期,道場の塾頭を務めたことでも有名。春蔵は与力格200俵を給され幕府の士として召され,文久1(1861)年には講武所の教授方に登用された。晩年は大阪で神官となった。

(中井一水)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桃井春蔵
もものいしゅんぞう
(1825―1885)

いわゆる幕末江戸の三大道場の一つ、鏡新明智(きょうしんめいち)流士学館(しがくかん)の当主。名は直正(なおまさ)。沼津藩士田中重左衛門の二男で幼名甚助(じんすけ)。1838年(天保9)14歳で3代目春蔵直一(なおかず)の門に入り、17歳で初目録を得、その天才的な太刀筋(たちすじ)を見込まれて婿養子となり、25歳で奥伝を受け春蔵を襲名した。28歳で4代目を継ぐころには、千葉栄次郎、斎藤新太郎らと並ぶ江戸一流の若手の大家といわれ、「位は桃井」の世評を得た。彼の剣名を慕って全国諸藩からの入門者や、短期の随身者が多数集まり、千葉栄次郎の玄武館、斎藤新太郎の練兵館とともに、江戸の三大道場とよばれた。57年(安政4)ころには、土佐藩の武市半平太(たけちはんぺいた)が塾監を勤めている。63年(文久3)春蔵は幕府の講武所剣術教授方に登用され、66年(慶応2)同師範役並(しはんやくなみ)に進んだが、幕府の兵制改革によって遊撃隊頭取に転じ、翌67年将軍慶喜(よしのぶ)の上洛(じょうらく)に随行して入京、のち大坂に転じ、玉造(たまつくり)の臨時講武所に出仕し、剣術師範役に任じたが、同11月部内の意見と対立して辞任し、野に下った。
 明治維新後も東京には帰らず、誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)(羽曳野(はびきの)市)の社司(しゃし)や陵掌(りょうしょう)などを勤めたが、1885年(明治18)夏流行したコレラに倒れ、波瀾(はらん)の生涯を閉じた。なお、門下にも俊才が多く、上田馬之助(うえだうまのすけ)、阪部大作(さかべだいさく)、兼松直廉(かねまつなおやす)、久保田晋蔵(くぼたしんぞう)、梶川義正(かじかわよしまさ)、逸見宗助(へんみそうすけ)らは、明治前期の警視局(庁)剣術の中心人物として活躍した。[渡辺一郎]

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