道悦島村(読み)どうえつじまむら

日本歴史地名大系 「道悦島村」の解説

道悦島村
どうえつじまむら

[現在地名]島田市道悦島・道悦どうえつ一―五丁目・高島町たかじまちよう・道悦

島田宿の東、阿知あち村の南、大井川左岸低地に立地する。地内を大津谷おおつや川が流れ、東端付近で栃山とちやま(島田川とも)が分流して北東流している。「駿河記」によると、慶長年中(一五九六―一六一五)大井川の洪水により川成になった地で、元和―貞享(一六一五―八八)の間に道悦が開発、村名を道悦島と称したという。道悦の没年は寛文五年(一六六五)とされ、道悦の子孫の墓に「塚本氏道悦庵主」と刻されている。村内の八幡宮が万治二年(一六五九)に勧請されたと伝えるので、開発もその頃と推定される。元禄郷帳に道悦島村とみえ、高四〇五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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