道頓堀芝居側
どうとんぼりしばいがわ
歌舞伎をはじめとした演劇場があった道頓堀立慶町・同吉左衛門町の二町をいう。「摂津名所図会」「摂津名所図会大成」はともにこの名を用いているが、大成は「道頓堀芝居町」とも表現している。名所図会は演劇の種類を「竹田近江が機捩戯場」「舞伎楽戸」「戯棚梨園」の三つとする。寛永三年(一六二六)安井九兵衛が道頓堀の繁栄のため勘四郎町(のちの北勘四郎町・南勘四郎町)の芝居をここに移したのが始まりと伝える。初めは下難波村領の遊女による女歌舞伎であったが、禁止されて若衆歌舞伎に代わり、このとき京都から塩屋九郎右衛門・同九左衛門・大和屋甚兵衛・河内屋与八郎・松本名左衛門・大坂太左衛門が下ってきて興行主となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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